上達

宅配便とか書留とか、届けたときに留守だと入る不在通知。
当然そこには鼠屋という名字が書かれている。

配達の担当者は最初相当面食らったんじゃないか。
ほとんどの人は生まれてこのかた「鼠」なんて字を書かされたことはないんだろうから。
引っ越した初めの頃に届く不在通知は「鼠に似ている字のようなもの」がよく書かれてた。
それが、最近気づいたんだけど、ここのところ入ってくる不在通知とかの字が、
妙にちゃんと「鼠」になってたり、惜しいけどあと一歩くらいのことまで来てたりしてる。
明らかに上達してるのね。

度々書かされるうちに形がさまになってきたってのもあるだろうし、
人によっては気になって辞書とかで調べちゃったりしたんじゃなかろうか。

もし自分がそういう経緯で珍しい字を新しく書けるようになったら、周囲に自慢するに違いない。
「お前『鼠』って字書けるかよ?俺、書けるぜ。すげーだろー!」
って。

そんなふうに自慢の種を作ってあげられたんだとしたらこの名字も少し役に立ったのかもしれない。
でも、基本的には「お手数かけてすみません」って気分です。

味覚

ねずみやが納豆好きなのは以前にも書いた

しかし、どうも最近好みが変わってきたみたい。

昔は、納豆には(添付の)だしとからしに刻んだ万能ねぎと卵だったのに、
最近は卵無しのほうがいいかなぁという気がしてる。

年取って味覚変わってきたのかな。

まぁたしかに周りでも油っこい物がだめになったとか聞くけど、
自分は今のところそんなこともなくガツガツ暴飲暴食してます。

これが味覚の変化だとすると、ずいぶん地味だなー。
これからどんどんガラッと変わっていくのかしら。

変化

近所でここ最近、建て直しのためか、建物を壊しているのをよく見る。
家がなくなって更地になったり、大きめのビルが丸ごと壊されていたり。
そうやって常にちょっとずつ風景ってのは変わっていくんだよね。
ふと昔の風景を思い出そうと思っても思い出せなくなってしまうくらいゆっくりと、でも着実に。

変化を積み重ねられる人間ってすごいなぁ。
社会という意味でも、個人という意味でも。
日々どんどん壊されていくビルを見ながら、そんなことをしみじみと思ってみた。

税務署での出来事

3月3日のブログを読んでない人はまずこちらへ。

そいつは気づかなかった。
ねずみやの目に殺気が走ったことに。
「あー、添付書類は糊で貼ってもらわないと困るんだよね~」
その一言が男の理性を奪った。

「なんだとー?出せー、出せー、去年ホチキスでいいって言ったあいつを出せ~!」
突如立ち上がって叫びだすねずみや。
隣にいた榎本秋子(仮名36歳)は恐怖の表情のまま固まっている。
それに気づいたねずみやは机にあったカッターをつかみ彼女の背後へ。
「ホチキスでいいって言ったあいつを出さなきゃこの女の命はないぞ!」
狼狽する税務署職員、叫びながら逃げ惑う一般市民。

なーんて展開になったら面白いかなぁと思いつつも、
「添付書類たくさんあるんで封筒に入れてホチキス留めでいいですか?」の質問に
「はーいどーぞー」と即答され、なんとなく肩すかしを喰った気分で確定申告書類提出終了。

やさしく「ごくろうさまでした」と声をかけてもらいました。

種が鼠になったわけ

以下の文章はねずみやの母校のコミュニティで発行されている雑誌に掲載されたものの転載です。
昨年の秋に突然編集部から連絡が来て「来年は子年なのでねずみについて書いてほしい」とのこと。
なんでも卒業生名簿で「ねずみ」で検索をかけたらひっかかったのがねずみやだけだったらしい。
ということでネタの使い回しです。

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鼠屋家の過去帳で、最初に出てくる鼠屋姓の人物は、私の九代上の先祖にあたる鼠屋忠七となっている。
その両親についての記載もあるのだが、なんと忠七の父親の名前は種屋權左衛門。
種屋である。
くどいようだが「種屋」である。
農業をしていたとの但し書き。
つまり突然変異的に種屋の息子が鼠屋になっているのだ。
その経緯については、しかし残念ながら今となっては想像するしかない。

おそらくは種を扱うのが主だったであろう種屋權左衛門とその息子忠七。
忠七は種をネズミから守るのがうまく、
父權左衛門に新しく家を構えることを許され名字を鼠屋とした、というストーリーも悪くない。
だが私は、実はどちらかというと、失態の罰として鼠屋となったのではないかと思っている。
忠七のミスにより種の大半をネズミに食べられてしまう被害にあったのだ。
そして被害のあと、父に「お前なんぞ、たった今から鼠屋じゃー。」などと言われ
追い出されたに違いないのである。
そんな先祖を持っていると考えれば、
今の自分がおっちょこちょいなのもむべなるかな、納得のいくところだ。
忠七が愛おしくさえなる。

このような名字を持つと、妙にねずみ偏愛傾向となってしまい、
ねずみの置物などを見るとすぐに買ってしまう。
二〇〇八年はどうやら支出が多くなりそうだ。