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フェチ復活

先日の誕生日、たくさんのメッセージをもらった。
この先いくつになってもそうやって自分の記念日にメッセージをもらえることは嬉しいものなんだろうと思う。
メッセージをくださったみなさまありがとうございました☆

そんなこともあって感じるのは、ここ何年かはGREEやらmixiやらfacebookやらが友人の誕生日を教えてくれるからお祝いの言葉も送りやすくなったなと。

僕は昔、友人の誕生日に凝ったことがあった。
自称「誕生日フェチ」。
会話の流れとかでたまたま聞き知った誕生日などはしっかりメモ。
当日にサプライズでメールを送ったり電話をしたりするのが楽しくて好きだった。

それにひきかえ、SNSのメッセージで「誕生日おめでとう」を伝えるのは意外性がないというか、やっぱりなんか萌えない。
だからか、最近は「おめでとう」を伝えること自体を敬遠しがちに。。。
(みんながおめでとうメッセージ送ってるからむしろやりたくないっていう天邪鬼なところもある)
同じfacebookの友人なのに、あっちの友人にはおめでとうをウォールに書き込んでこっちの友人には書かない、みたいなことになるのも二の足を踏む要因だなぁ。

・・・ってなことを考えたり考えなかったりだったわけだけど、やっぱりお祝いメッセージをもらうのって嬉しいことなんだと再認識したことだし、難しいこと考えずに「おめでとう」って伝えられるときは伝えればいいのかなと前向きな気持ちになったわけであります。
諸事情で「おめでとう」と届けられなかった方はすみません。他意はないのであしからず。

誕生日フェチ、復活してみようかなぁ。

え、君とここで会うか!

賑やかな飲食店にてプライベートで食事をしていた時のこと。

お会計の時にテーブル担当の女性に「ねずみやさんですよね?」って声をかけられた。
目が点、頭がハテナになっていると、彼女があらためて自己紹介してくれた。

数年前に沖縄のイベントでご一緒した方でした。
沖縄ではイベントのステージを盛り上げるということで時間を共にし、さらに打ち上げでものんびりとじっくりと話をしたんだけど実はそれっきりになっていて、以降これといった接点はなかった。
それがお店でバッタリとは。

前回のブログでは「講師モードと曲書きモード」がスッとつながらないって話だったけど、今回は「曲書きモードとプライベート」がスッとつながらない感じだった。
思いがけない縁に、再会を約束して連絡先を渡してお別れしたのでした。
連絡来るかなー?

この秋は、僕にとってはそういう人のつながりに驚く季節なのかもしれない。
2度あることは3度ある、か?

近い他人

とある勉強会の打ち上げにお邪魔した。
そこで会った1人の女性は、名刺を見ると同い年。
年上が多い中、それだけでも親近感だったのにさらによく知っている中高の卒とある。
その学校(女子校)の知り合いの名前を列挙したら、全部つながるじゃないの。
共通の友人は20人は下らないんじゃないかなって勢い。

ここまで近い人との「はじめまして」は初めてだなぁ。
世の中広いようで狭く、狭いようで広い。

彼女は志を持って頑張ってる人でした。
もっとじっくり話ししたかったなぁ。

次の機会に期待です♪

なでしこの先駆け

オリンピック、見てます。
LIVEじゃないことも(ことのほうが)多いけど。

録画放送でもう結果もわかってるのに、試合見ながら拍手したり歓声あげたり悔しがったり、もう大騒ぎ。

なでしこジャパンは残念ながらメダルには手が(足が?)届かなかったけど、この話題で思い出したことが。

ねずみやは少年時代サッカーをやってた。
小学校入学前から中学の途中くらいまで。
いわゆるキャプテン翼世代。

小学校卒業までは南戸塚サッカークラブというチームにいたんだけど、ここのメインコーチが女性でね。
いやぁ鬼コーチだったなぁ。
怖いの怖くないのって・・・怖いの。
もちろん怖いの、めちゃめちゃ。
愛情を感じる怖さだったけどね。

この女性コーチ、なんと日本で女性初めてのサッカー審判資格取得者。
今考えるとすごいよなぁ。
20年近く前に女子サッカーのはしりをやってたわけだから。
もちろん本人もサッカーうまいの、めちゃめちゃ。
男とは言え小学校高学年とかでも1対1でかなわなかったりするくらい。

と思って検索してみたらこんなの出てきた。
うわ、記事が1992年って、26年前か。
四半世紀・・・。
女性の活躍をデータベース化してる所なのかなぁ、ここ。

んー、懐かしいな相羽コーチ。
元気にしてるかな。

どうぞゆっくり

20年来の恩師が亡くなった。

ここしばらくは入院してたし、心の準備はできてた。
でもつらい。

こんな話し、書くかどうか迷ったけど、自分にとって大きな出来事なのでやっぱり書いておこう。

小学校時代は塾で社会を教わった。
いつも点数悪くてごめんなさい。
中高時代は卒業したにもかかわらず塾に遊びに行った。
大学以降はITの仕事・音楽の仕事いろいろ気にかけてくれた。
よく一緒に飲んだりもした。
そしていつのまにか自分も先生という仕事をしている。

「公私共にお世話になる」の極みだと思う。

先生、先生にはチルドレンがいっぱいいます。
先生のチルドレンとして継ぐものがいっぱいあります。
本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでください。