種が鼠になったわけ

以下の文章はねずみやの母校のコミュニティで発行されている雑誌に掲載されたものの転載です。
昨年の秋に突然編集部から連絡が来て「来年は子年なのでねずみについて書いてほしい」とのこと。
なんでも卒業生名簿で「ねずみ」で検索をかけたらひっかかったのがねずみやだけだったらしい。
ということでネタの使い回しです。

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鼠屋家の過去帳で、最初に出てくる鼠屋姓の人物は、私の九代上の先祖にあたる鼠屋忠七となっている。
その両親についての記載もあるのだが、なんと忠七の父親の名前は種屋權左衛門。
種屋である。
くどいようだが「種屋」である。
農業をしていたとの但し書き。
つまり突然変異的に種屋の息子が鼠屋になっているのだ。
その経緯については、しかし残念ながら今となっては想像するしかない。

おそらくは種を扱うのが主だったであろう種屋權左衛門とその息子忠七。
忠七は種をネズミから守るのがうまく、
父權左衛門に新しく家を構えることを許され名字を鼠屋とした、というストーリーも悪くない。
だが私は、実はどちらかというと、失態の罰として鼠屋となったのではないかと思っている。
忠七のミスにより種の大半をネズミに食べられてしまう被害にあったのだ。
そして被害のあと、父に「お前なんぞ、たった今から鼠屋じゃー。」などと言われ
追い出されたに違いないのである。
そんな先祖を持っていると考えれば、
今の自分がおっちょこちょいなのもむべなるかな、納得のいくところだ。
忠七が愛おしくさえなる。

このような名字を持つと、妙にねずみ偏愛傾向となってしまい、
ねずみの置物などを見るとすぐに買ってしまう。
二〇〇八年はどうやら支出が多くなりそうだ。

「種が鼠になったわけ」への8件のフィードバック

  1. もうねずみ年も1/6終わってしまいましたね。
    なんでねこ年がないんだろう。。。
    毎年それが悔しいです。

  2. あれ、そうだったっけ?
    ああ、集合時間とかだまされたんだっけ。あれ、違うかな?

  3. 自分の先祖がどんな人だったか想像するのは楽しいね。
    七代も前の、忠七さんまで分かっているのはすご~い!
    この前、旦那さまの実家で同じような話になって、
    略式で家系図を書いてみたりしてました。
    しかし、昔の方は親類関係が密接すぎて、逆に難しかった。
    (義理の弟と再婚。とか、親が再婚した義兄妹が結婚。とか。
    『=』が複雑。恋愛結婚ではなく、家族同士の結婚だった為、血が濃いのね。)
    今ではちゃんとそらで言えるのはおばあちゃんだけ。
    きちんとした形で残しておかないと、いつの間にか不明になってしまうんだろうね。

  4. 過去帳の中で一番没年が早いのが「種屋權左衛門の母」なんだけど、
    没年が1714年で徳川7代将軍のとき。
    これってもはや歴史の世界。
    この寄稿をするにあたってねずみやも過去帳から家系図を起こしたら、
    なんとA4の紙1枚に収まっちゃうんだよね。
    不思議な感じでした。

  5. なるほどねー。だからネコはネズミをおっかけるのか。
    よし、じゃあ今度会ったらかじって差し上げよう♪

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