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コンビニで見かけた新しいモノたち

ここ最近、立て続けにコンビニで新しいものを見かけた。

ペプシソルティーウォーターメロン
セブンイレブンにて。
甘ったるすぎずさっぱりでわりとイイカンジ☆
すいかに塩をかけるのは好まないけどこれは許す。

次はespressodaって飲み物。
ローソンにて。
エスプレッソコーヒーが炭酸になりました、的な飲み物。
正直言ってこっちは自分には甘すぎた。
でもこっちの商品の特筆すべきポイントはWebページ。
http://espressoda.jp/は凄すぎます。
よくここまで頑張って作ったな、って感じ。

最後は「進化型」のモノ。
やはりローソンにて。

何がどう進化型なのかきっちり問い質したいところ。
進化したセロリはもはやセロリではなかったりするのか。。。

読める?パート2

突然ですが、これ読めますか?

引用ここから~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげは たごんを にしんき する ときに その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?

引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以前、同じ理屈の英語の文章に出会って、ブログに書いたことがあった。
つーか出所は同じだな、これ。
そのときは「日本語だと無理だろうなぁ」って書いたんだけど、余裕でイケましたね。

引用元:http://ayacnews.blog57.fc2.com/blog-entry-6235.html

意識と身体

聞いた話なんだけど、ベビーサインってのがあるらしい。
ざっくり言うと、赤ちゃん用の手話。
これを使うと赤ちゃんは口頭での意思表示よりずっと前に手話で明確な意思表示をするらしい。
体の機能として発音がまだできないだけで、意識はちゃんとはっきりしてるってことだよな。
まわりの大人が赤ちゃん言葉なんか使ってると赤ちゃん本人は「バカにすんなよ、コラ」とか思ってたりするのかもな。

で、これと同じような話って高齢の人にも言える。
体が衰えてきて思うように動かなかったり動作が緩慢になったりしても、意識としては若い時と変わらず、
もしくは年輪を重ねた分いろんな高次のことを考えていて自分の動きがもどかしかったりする人もいるらしい。

意識と身体は、人間であるためには不可分だけど、やっぱり別々のものなんだなぁ。
この二つはどうやって結びついてるのかなぁ。
その結びつきは1対1なのかなぁ。
・・・とか、生物学的というか哲学的というか、そんなものにちょっと思いとらわれてみた。。。

巻き巻き

横断歩道の信号待ちで隣に立ってたおばちゃん。
頭にカーラー(っていうのかな、パーマで髪巻くやつ)いっぱい付いてますけど。。。

数えようかと思ったけど、おばちゃんを衛星のように一周しなきゃいけなくなるので断念。

あれってつけっぱなしで表を歩いたりするもの?

追:カーラーとも言うけど正式名称は「ロッド」だそうです。

種が鼠になったわけ

以下の文章はねずみやの母校のコミュニティで発行されている雑誌に掲載されたものの転載です。
昨年の秋に突然編集部から連絡が来て「来年は子年なのでねずみについて書いてほしい」とのこと。
なんでも卒業生名簿で「ねずみ」で検索をかけたらひっかかったのがねずみやだけだったらしい。
ということでネタの使い回しです。

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鼠屋家の過去帳で、最初に出てくる鼠屋姓の人物は、私の九代上の先祖にあたる鼠屋忠七となっている。
その両親についての記載もあるのだが、なんと忠七の父親の名前は種屋權左衛門。
種屋である。
くどいようだが「種屋」である。
農業をしていたとの但し書き。
つまり突然変異的に種屋の息子が鼠屋になっているのだ。
その経緯については、しかし残念ながら今となっては想像するしかない。

おそらくは種を扱うのが主だったであろう種屋權左衛門とその息子忠七。
忠七は種をネズミから守るのがうまく、
父權左衛門に新しく家を構えることを許され名字を鼠屋とした、というストーリーも悪くない。
だが私は、実はどちらかというと、失態の罰として鼠屋となったのではないかと思っている。
忠七のミスにより種の大半をネズミに食べられてしまう被害にあったのだ。
そして被害のあと、父に「お前なんぞ、たった今から鼠屋じゃー。」などと言われ
追い出されたに違いないのである。
そんな先祖を持っていると考えれば、
今の自分がおっちょこちょいなのもむべなるかな、納得のいくところだ。
忠七が愛おしくさえなる。

このような名字を持つと、妙にねずみ偏愛傾向となってしまい、
ねずみの置物などを見るとすぐに買ってしまう。
二〇〇八年はどうやら支出が多くなりそうだ。